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結論
「カノッサの屈辱」は、皇帝(国のNo.1)が破門され、教皇(宗教のNo.1)に謝罪した事件。
「アナーニ事件」は、教皇(宗教のNo.1)が皇帝(国のNo.1)に捕らえられ、憤死した事件。
中世ヨーロッパにおける「教皇と皇帝の力関係の逆転」を示した出来事です。
カノッサの屈辱(1077年)
カノッサ城の前で屈辱を浴びた皇帝のお話。
登場人物は?
- 神聖ローマ帝国のNo.1、皇帝・ハインリヒ4世
- ローマ・カトリック教会のNo.1、教皇・グレゴリウス7世
※神聖ローマ帝国は、現在のドイツ~北イタリアにあたる地域を支配していました。
※ローマ・カトリック教会は、キリスト教の最大宗派。
どんな争い?
- 聖職者(司教)の任命権をめぐって対立
結果は?
- 皇帝・ハインリヒ4世は、ローマ・カトリック教会から破門(=仲間外れ)。
- 雪の降るカノッサ城で、皇帝は裸足で3日間謝罪し、破門を解いてもらった。
→ 宗教 > 国
ひえ~。破門されたらそんなに困るの?
神聖ローマ帝国の成り立ち自体が「(ローマ・カトリック教会の)キリスト教世界を守る」という考えで設立された国だったからだね
アナーニ事件(1303年)
カノッサの屈辱から約200年。十字軍遠征の失敗を経て、立場は逆転。
教皇が捕らえられ、怒りのあまり憤死。
登場人物は?
- 西フランク王国の国王・フィリップ4世
- ローマ・カトリック教会の教皇・ボニファティウス8世
どんな争い?
- 教会からも税金をとりたい王と、税金から逃れたい教皇
- 教皇は(カノッサの屈辱と同様、)王を破門する準備
- 王の部下がイタリアのアナーニで教皇を軟禁
結果は?
- 教皇は民衆により解放されたものの、1か月後に持病の欠席で死去
- が、「悔しさと怒りのあまり憤死した」と伝えられる
→ 国 > 宗教
憤死で終わる人生は送りたくないなぁ…
「憤死」のインパクトが強すぎる出来事だけど、後の絶対王政時代にもつながる重要な事件なんだ
まとめ
- カノッサの屈辱=皇帝が教皇に謝罪
- アナーニ事件=教皇が王に屈服(&憤死)
- 中世のヨーロッパで「宗教から国家へ」の転換点を示す
