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現代の道路は、どこもかしこもコンクリートやアスファルト。
しかし江戸時代は、日本はどこも土の道で、人々が草履で歩き、馬やかごが行き交っていました。
なぜ、道は土から変わっていったのでしょうか?
江戸時代の道は「土」
江戸時代の道は、基本的に「土のまま」でした。
武士や商人、庶民が歩く通りも、雨が降ればぬかるみ、晴れればほこりが舞う…。
舗装といえるのは、一部の主要街道で「石畳(いしだたみ)」が使われていたくらいです。
雨の日はドロドロになっちゃう!
当時は自動車がなかったので、土の道でも生活に大きな支障はなかったんだ
明治時代に「舗装」が始まる
文明開化の明治時代になると、外国の文化や技術が日本に入ってきました。
そのひとつが「舗装道路」。
見た目の美しさや利便性のために、石やレンガで道を固めるようになります。
特に横浜や神戸などの港町では、外国人が「土の道では不便だ」と訴えたことから、初めての本格的な舗装道路が作られました。
車の登場で舗装加速
大きな転機は、大正から昭和にかけての自動車の普及です。
土の道では、車のタイヤが沈み、雨の日は泥、晴れの日は砂ぼこりが舞い上がってしまいました。
そのため、道路には次のような改良が必要になったのです。
- タイヤが滑らず走れるようにする
- 雨の日でもぬかるまないようにする
- ほこりを防ぐ
この目的で登場したのが、「アスファルト」や「コンクリート」を使った舗装でした。
タイヤがぬかるみにハマったら、車も動けなくなっちゃうもんね…
そう。だから道路を「固く」する必要があったんだ
コンクリート道路がもたらした変化
コンクリートやアスファルトで舗装された道には、次メリットがありました。
- 長持ちする(修理の手間が少ない)
- 水はけが良く、安全に歩ける
- 街が清潔になり、見た目もきれい
こうして、昭和の高度経済成長期には全国で道路工事が進み、都市から地方まで舗装が広がっていきました。
今では、日本の道路の約9割が舗装されています。
さらなる進化
現代の舗装技術は、ただ固いだけでなく、雨水を通す「透水性舗装」やヒートアイランドを防ぐ「遮熱舗装」など、環境にも優しい方向に進化しています。
まとめ
江戸の土の道は、車のない歩く時代のもの。
明治時代に外国から石畳が導入。
そして現代のコンクリート道路は、車社会と都市生活を支える「文明の骨格」といえます。
道ひとつでも、時代の進化が見えるんだね!
そうだね。何気なく歩く道にも、歴史の足あとが残っているんだ

