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結論 完全に閉じていたわけではない
江戸時代の「鎖国」は、「海外と断絶していた」と説明されます。
でも実際にはオランダ、中国、朝鮮、琉球、アイヌとの交流が続いており、全く閉じていたわけではありません。
えっ、じゃあ“鎖国”って言葉、ちょっと大げさじゃない?
そうだね。幕府がコントロールして“限定的に”交流していたのが実態なんだ。
鎖国の基本ルール
1630年代、江戸幕府は外国との自由な往来を禁止しました。
その目的は、キリスト教が拡大して反対勢力になるのを防ぐため。
海外渡航も原則禁止され、海外には簡単に行けなくなりました。
例外
ただし、次の藩などでは海外との交流が続いていました。
- 長崎出島:オランダと中国
- 対馬藩:朝鮮
- 薩摩藩:琉球
- 松前藩:アイヌ
えー!けっこう取引してるじゃん!ぼく、だまされてた気分だよ!
幕府は交流ルートを限定して“安全に管理する”ことを重視していたんだね。
鎖国がもたらした文化的影響
オランダ経由で入った医学や天文学は「蘭学」として発展しました。
また中国からの書物は儒学や絵画に影響を与えています。
海外からの情報は少なかったけれど、質の高いものがピンポイントで入ってきて、極東の島国・日本独自の文化が育っていきました。
まとめ
「鎖国」とは、完全に閉じたわけではなく「管理貿易」として外との接触をコントロールした政策でした。
そのおかげで国内の安定と独自の文化の発展が守られたとも言えます。
ふむふむ、閉じてたんじゃなくて“選んでつながってた”ってことなんだね!
